huv a slight fever

年中夏

みんなとaiko わたしとaiko

 aikoのサブスクが解禁された。びっくりした。何の前触れもなく(私が知らなかっただけかもしれませんが…)全曲。400曲以上。うれしい。これまでのように、シングルのCDを買い集めてインポートしてというのやらなくても、どこでもaikoが聞けてしまう。

 しかしそれよりびっくりしたのは、サブスクが解禁されてから、SNS(主に私の主たる生息地であるTwitterで)でしきりにaikoについて語られることだった。私のTLはaikoジャンキーはいない(その共通項でフォローした人はという意味)はずなのに、みんな口々に「自分とaiko」について語っている。「自分が就活していた時にこのアルバムを聴いていた」「前の交際相手と付き合っていた時にこの曲を死ぬほど聴いてた」とかそういうもの。それがとても私をわくわくさせた。なんかこれナンバガ現象っぽい。

 偶然なのか単に見つけられてないだけなのか、私はこれまで、身近な親しい人の中にaikoを聴く人がいなかった。だから、aikoについて語る機会が全くと言っていいほど無かった。そりゃあaikoが好きだと自称して頑張って探せばいくらでもいただろうけど、それについて一緒に共感したりする人とは出会ってこなかった。でも、数年というかもう10年以上に渡って、aikoの曲と一緒に生きてきたつもりでいる。

 本当に、一時期は聞いて聞いて聞きまくっていた。初めて出会ったときには中学生だった。夢道を死ぬほど聴いていた。高校生の時はもちろんiPodaikoの曲をめいいっぱい入れていたし、初めて一人でライブに行ったときのことや、就活中にうだるような暑さの中泡愛を聴いてくじけそうなメンタルを保っていた記憶も、昨日のことのように思い出せる。

 昔心に突き刺さって狂ったように繰り返し聞いていた曲を選んで今聞くと、aikoの歌詞に出てくる「あたし」の抱える相手への気持ちのヘヴィー級のスタミナにびっくりさせられたりする。自分が共感できる歌詞も、お気に入りの歌詞も、数年で変わるもんだと気づく。

 これも私の、「自分とaiko」というよくあるお話の中のひとつだ。そうやって、たくさんの人の人生と、aikoの曲が共にある。それが、考えたら当たり前のようだけど不思議で、このサブスク解禁を機に実感できて、なんだか勝手にうれしかった。

 

 さっきaikoの曲について、「一緒に共感したりする人とは出会ってこなかった」と書いたけど、それは意図的なものだったかもしれない。私は普段からあまり大きな声でaiko好きを自称できなかったし、本気でaikoを語れるような仲間を探そうとしなかった。

 私は、音楽はもちろんだけど、特にaikoの書く歌詞に心を掴まれた人間のひとりだ。あまりに自分の心に深く棲みついてしまっていて、それを表に出せなくなるくらいそれくらいになってしまっていた。自分がどうやって他人を思うとか、今どんな思いを抱えているかとか、それが表に出てしまうような気がして、それが少し怖くて、簡単にaikoのこの曲が好きと!か言えなくなるくらいになっていた。こうやって書いてみたら大げさで、ばからしいかもしれない。何度聞いても飽きないくらいのめりこめる歌詞を書いてくれる音楽を、一人で聞いているだけでも幸せだった。

 しかしそんな私も、サブスク解禁を機に、いろんな人のaikoの曲に関する思いが、そして思い出や忘れられていた記憶が、タイムカプセルみたいにぽんぽん出てきて、それを読むだけでもなんだか幸せな気持ちになれた。

 

 これはユーミンについても思ったことだけど、サブスク解禁をきっかけに、初めてaikoの曲に出会える人がきっと多くいるのだろうな、と思うと、その人が少しうらやましい。思う存分度肝を抜かれて骨抜きになってaikoなしじゃ生きられない人生をお楽しみください。 

 YouTubeライブ配信を見ながら、我慢できなくて書いてしまいました。aiko(普段は心の中で様をつけて呼んだりしていますが敬称略)、ありがとう。これからもaikoのたくさんの曲は私の心にずっといるでしょう。これからもよろしくお願いします。